百済寺について

百済寺は1400年以上前の推古14年、聖徳太子さまによって創建された近江国最古級の寺院です。
名だたる人物の歴史舞台として、また天台別院と称され、近江の人々の信仰を集めてきました。

縁起

釈迦山百済寺 由緒

昔、聖徳太子が、八日市の太郎坊山の麓に宿をとられた時、毎夕方に東の山中に瑞光(妙光)をご覧になられた。
不思議に思われた太子が翌朝、山中に分け入られると光湧の場所には幹の上半分が切り取られた大木が立っていた。
この大木の周りには、たくさんの山猿が果物を供えて礼拝している。
太子はその光景を見られて、この杉の大樹こそ聖木であると感ぜられ、この大木を生えたまま、観世音菩薩像を作り上げるよう指示され、第一刀を入刀された。
この観世音は根の付いた大樹であることから「植木観音」と呼ばれ、上半分の幹は百済の龍雲寺で東向きに安置された「十一面観音」となり、西向きの「植木観音」が相向き合った「同木二体の観音さま」となりました。

釈迦山百済寺 概要

釈迦山百済寺は、飛鳥時代、推古14年(606)に聖徳太子の勅願によって開かれた近江最古の仏教寺院です。
創建当時は、日本に仏教を伝来した渡来僧や先進的な文化、技術を伝えた渡来系氏族の氏寺として発達しました。
平安時代になり、比叡山延暦寺が開創されると、やがて当寺院も天台宗となり、その規模は拡大され「湖東の小叡山」、「天台別院」と称されるほど壮大な寺院になります。
平安末期から鎌倉、室町時代には、度重なる火災や戦乱による厄災によって、建物の多くを焼失しましたが、なお勢力を保ち続け再興を果たします。
室町時代から安土桃山時代にかわる元亀4年(1573)には、織田信長の焼き討ちによって全山灰燼に帰してしまいましたが、御本尊「十一面観世音菩薩」(別名:植木観音菩薩、全高3.2m)は背後の山を越えた8㎞先の奥の院に避難することができ焼失を免れています。天正12年(1584)には仮本堂が建てられたものの、長らく再建には至りませんでした。
江戸時代になり、寛永14年(1637)には明正天皇による再建を勅許する論旨を給わり、僧侶たちは諸国に勧進し、幕府の老中や大奥、東叡山寛永寺、彦根藩主などから寄進、喜捨を受け、慶安3年(1650)に本堂、仁王門、山門(赤門)等が完成し、いまもその姿をとどめています。


名蹟図誌近江宝鑑 上巻 愛知群 百済寺 抜粋
【名蹟図誌近江宝鑑/上巻/愛知群/百済寺/抜粋】 滋賀県立図書館近江デジタル歴史街道より


昭和15(1940)には、本坊喜見院を現在地に移改築するとともに庭園「天下遠望の名園」を造営しました。
また、天台宗・湖東三山の一つとして、境内をいろどる紅葉の名刹として、広く知られており、平成に時代は移っても、多くの参拝者にお参りいただいています。

ご祈祷・御朱印について

ご祈祷について

ご祈祷について

百済寺では安産祈願をはじめ、様々なお願いごとへのご祈祷を行っております。
※ 受付時間:午前8時から午後4時(午後5時閉門)

安産祈願・安全祈願・健康祈願・無病息災・開運招福・家運隆昌・国家安穏・世界平和・良縁結就・家内安全・商売繁盛・合格必勝・家庭円満・交通安全・子宝繁栄・心願成就など。

伽藍屋根材ご寄進について

伽藍屋根材ご寄進について

百済寺境内に残された本堂など、貴重な文化財として末永く守り、後世に受け継いでいくためにもご寄進をお願いしております。

伽藍屋根材(銅板・瓦・桧皮)の裏面にお願いごと・お名前等をお書きいただきご祈祷致します。

釈迦山百済寺 御朱印

釈迦山百済寺 御朱印

御朱印は寺務所にて受け付けております。
ご参拝のおしるしとしてどうぞお受け下さい。

代表例として、
近江西国観音霊場 第十六番「植木観音」御朱印
聖徳太子御遺跡 第三十四番「弥勒佛」御朱印
湖国十一面観音霊場 十番「大悲閣」御朱印
があります。

アクセス・拝観料について

住所 〒527-0144 滋賀県東近江市百済寺町323 (旧) 愛知郡愛東町大字百済寺丁323
電話:0749-46-1036 ファックス:0749-46-2096
拝観料 【大人】(個人)600円(団体30名以上)550円
【中学生】(個人)300円(団体)250円
【小学生】(個人・団体ともに)200円
【障がい者】(個人)500円
駐車場 バス・乗用車ともに無料 [収容台数:大型バス20台、乗用車220台]

札所・霊場

近江西国観音霊場第十六番 / 神仏霊場第141番(滋賀第9番) / 湖国十一面観音霊場第十番 / 聖徳太子御遺跡第三十四番 / びわ湖百八霊場第64番 / 湖東二十七名刹第十一番 / 百寺巡礼第35番(五木寛之) / 井伊家ゆかりの16社寺第十六番

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