天台宗 湖東三山 釈迦山 百済寺

「緑と謎のロマン」に包まれた近江の最古刹,近江西国霊場十六番,湖国十一面観音霊場十番,湖東二十七名刹霊場十一番,五木寛之著「百寺巡礼」三十五番

■境内案内


境内図
地図上の名称及び下記の一覧よりご覧下さい。

上へ戻る


 
赤門 (あかもん)
百済寺の参道の入口に山門が建っている。朱塗りのために通称赤門と呼ばれております。
この門も本堂と同じ慶安3年(1650)に建立されました。
この赤門の前に現在移動しておりますが小野道風筆と伝えられる「下乗石」がございます。
赤門を入った左側に天文法華の乱のときに出陣した百済寺僧兵の戦死者の供養碑が建立されております。

■赤門 ■赤門

上へ戻る

極楽橋 (ごくらくばし)
赤門を過ぎて50m程歩くと「五の谷川」に朱色の「極楽橋」が架かっています。
橋の手前を「此岸」、橋を渡りきると「彼岸」という形で造作されています。
この橋から本堂まで参道の両側には延々と「石垣参道」とルイス・フロイスが「地上の天国 一千坊」と絶賛した「僧坊」の遺構が左右に展開します。

上へ戻る

矢杉 (やすぎ)
天正元年4月8日に、信長軍が守山から百済寺に侵攻をかけた時、山内の巨杉の葉までが弓矢となって応戦したことから「矢杉」と名付けられました。

上へ戻る

表参道 (おもてさんどう)
三山の中で百済寺の参道は、入口にあたる山門(赤門)から本堂までの長さが最も長い。
その参道の両側には老杉が林立し、支院跡の名残を残す苔むした石垣が続き、歴史の深さを感じさせられます。
■表参道 (おもてさんどう) ■表参道 (おもてさんどう) ■表参道 (おもてさんどう)
織田信長の兵火で一山は焼失したものの、参道がかつての規模の大きさを物語っているかのよう。

上へ戻る

表門 (おもてもん)
-

上へ戻る

庭園本坊 (ていえんほんぼう)
百済寺一山の本坊は喜見院です。
現在の建物は、昭和15年に仁王門側から移転改築されたもの。それにともない庭園も旧本坊のものを拡張改造されました。
■庭園本坊 (ていえんほんぼう) ■庭園本坊 (ていえんほんぼう)
この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園です。
■庭園本坊 (ていえんほんぼう) ■庭園本坊 (ていえんほんぼう) ■庭園本坊 (ていえんほんぼう)
とくに聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とありますが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石を配しております。
これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭されました。
■庭園本坊 (ていえんほんぼう) ■庭園本坊 (ていえんほんぼう)
また、庭内には中世の石造品の残欠も多く見られます。
本坊庭園は別名「天下遠望の名園」と称されております。
■庭園本坊 (ていえんほんぼう) ■庭園本坊 (ていえんほんぼう) ■庭園本坊 (ていえんほんぼう)
西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望めます。
さらに西方、880km先には、往時の「百済国」がありました。
百済からの渡来人が母国を偲ぶ気持ちで「遠望台」に立つ時、両国の深い交流関係が蘇ってきます。
■百済寺からの夕日 ■百済寺からの夕日 ■百済寺からの夕日

上へ戻る

弥勒半跏石像 (みろくはんかせきぞう)
-

■弥勒半跏石像(みろくはんかせきぞう)

上へ戻る

旧喜見院跡 (きゅうきけんいんあと)
百済寺一山の本坊は喜見院です。
現在の建物は、昭和15年に仁王門側から移転改築されたもの。それにともない庭園も旧本坊のものを拡張改造されました。
この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園です。
とくに聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とありますが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石を配しております。
これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭されました。
また、庭内には中世の石造品の残欠も多く見られます。

上へ戻る

北参道 (きたさんどう)
百済寺本堂から真北へ約10km行くと中山道が交叉する。
ここは大門と称され、最盛期の百済寺の入り口でした。
銘酒「百済寺樽」も樽で運ばれて瓢箪(ひょうたん)に詰め替えて、旅人に提供されておりました。
この参道は、樽酒の道(Rice Wine Road)の機能も有していたそうです。

上へ戻る

仁王門 (におうもん)
長い参道の本堂近くに立つ仁王門は、本堂と同じ年代に建立されました。
三間二間で一対の金剛力士像が向きあっております。
その正面につり下げられた一対の大草鞋に触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると昔から言い伝えられております。
最近では、「百寺巡礼」で有名な五木寛之氏が第35番目の百済寺参拝時に、この大草鞋に触れて、百済寺満願を達成されてから大変な脚光を浴び始めております。

■仁王門(におうもん) ■仁王門(におうもん) ■仁王門(におうもん)

上へ戻る

弁天堂 (べんてんどう)
-

上へ戻る

本堂 (ほんどう)…海抜350m
本堂は室町時代の明応7年(1498)に火災にあい、文亀3年(1503)に兵火をうけ、さらに織田信長によって天正元年(1573)全山焼失しました。
その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。
のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工。
かつての本堂は現在より少し山手の広大な台地に、金堂と五重の塔がありました。
現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられております。
金剛輪寺・西明寺の本堂よりもひとまわり小さいですが、天台形式の構造をもった均整のとれた建造物で、平成16年12月に文化庁より重要文化財の指定を受けました。
なお、外部の総高欄の擬宝珠に「百済寺本堂 慶安5年壬辰3月吉日」の刻銘があり、そのときにすべて完成したことを知ることができます。
内部に外陣と内陣とに引違格子戸を用い、内陣の厨子には、秘仏本尊の2.6mもある巨像の十一面観音立像(平安時代)を安置しております。

■本堂(ほんどう) ■本堂(ほんどう) ■本堂(ほんどう) ■本堂(ほんどう) ■本堂(ほんどう)

上へ戻る

旧本堂跡 (きゅうほんどうあと)…海抜365m
海抜365mにある大地で現在の本堂のある大地の約10倍の大きさがあったという(土砂崩れで2/3は埋没)。
ここに現本堂の約4倍の7間4面2層の本堂があったといわれています。 全高3.2mのご本尊がゆったりと安置されておりました。

上へ戻る

五重の塔跡 (ごじゅうのとうあと)
-

上へ戻る

千年菩提樹 (せんねんぼだいじゅ)
-

■千年菩提樹(せんねんぼだいじゅ)

上へ戻る

鐘楼 (しょうろう)
-

■鐘楼(しょうろう) ■鐘楼(しょうろう)

上へ戻る